基調講演 足こぎ車いす“COGY”で、 障がい者も健常者も共に希望を見出せる社会を実現する

「共創によるソーシャルビジネスの生み出し方」をテーマに開催されたPLATFORUM 2019。
株式会社TESS代表取締役社長鈴木堅之氏をお招きし、東北大学発のベンチャーとしての取り組みや、世界で初めての足こぎ車いす「COGY」が普及した先にある未来についてお話ししていただきました。

株式会社TESS 代表取締役社長
鈴木堅之氏
1974年静岡県生まれ。知的障害者更生施設指導員、小学校教員を経て、2008年に東北大学発ベンチャー株式会社TESSを設立。足こぎ車いす「COGY」で、誰もが希望を見出せる社会の実現を目指す。

小学校教員を辞めて飛び込んだ、大学発のベンチャー企業

ペダルのついた車いすをご存知でしょうか? あまり知られていないと思いますが、30年前に地域結集型事業として、東北大学で研究がスタートしました。30億円くらいの予算がつき、いろいろな研究がなされましたが、30年経って残っているのは、この足こぎ車いす「COGY」だけだそうです。それほど、大学の研究が製品化されて使われるようになるのは難しいということだと思います。私が関わって12年経ちましたが、今でもあまり知られていないですよね。こういういい製品、いい発明がどうやったらみなさんのところに届くのか、日々悩んでいるところです。

私は足こぎ車いすに関わる前は、山形県で小学校の教員をしておりました。放課後に職員室でテストの採点をしていたら、東北大学が足でこぐ車いすの研究をしているというニュースがやっていました。車いすは足が動かない方が乗るものですよね。手でこぐか電動車いすが一般的です。足を動かせるなら車いすに乗る必要はないのにと、半信半疑でニュースを見ていました。

そうしたら、まったく動けずに寝かされていたおばあちゃんが、ペダルのついた車いすに乗った途端、スイスイと病室の中を走り回ったのです。その方に残されている反射の力を呼び起こして、足を動かしているという説明でした。これはすごい!と。その当時、私のクラスに車いすに乗った男の子がいたのです。その子がこの車いすに乗ったら、みんなと一緒に体育祭でリレーができる、遠足にも行ける。そう思って、私は東北大学を訪ねることにしました。

すぐに会ってもらえたのは驚きでしたが、見せられたのはテレビで見たのとはちょっと違う、大きくてロボットのような車いすでした。しかも、電気信号を筋肉に送って強制的に筋肉を収縮させて足を動かすというんです。そのためには手術で筋肉に電極を埋め込む必要があると。すごく怖いですよね。これは子どもには使わせられないと思いました。

反射機能を利用して足を動かすという、テレビで見たのと同じ車いすもありましたが、重さが100キロ近くあって持ち運びできず、実用的ではないということでした。子ども用を作れないかとお聞きしましたが、あくまで研究だから製品化しようとは考えていないと言われてしまいました。

それから2年後くらいですが、世の中の流れが大きく変わり、大学発ベンチャー1000社計画が立ち上がり、足こぎ車いすを広めたいなら一緒にやらないかと声をかけていただきました。それで私は、小学校の教員を辞めて東北大学発のベンチャー企業に入りました。実は私の妻は教員で、妻の一族もみんな小学校の教員です。私も教員をしているので結婚を許してもらったので、妻には辞めたことは黙っていました(笑)。

でも大学ベンチャーって大変なんですね、ベンチャーをつくった次の月には、お金がなくなりました。お給料は出ないし、ボーナスもないので、妻が怪しがるんです。親戚一同集まって家族会議をするというので、私は新たに今の会社を立ち上げて、妻に報告したのです。

諦めていた人たちが希望を見出せる車いすを普及させたい

その頃私は、足こぎ車いすの試作機を持って、一人で宮城県中の施設・病院を訪問していました。
持っていってもなかなか試乗してもらえないのですが、試乗した方からは、「楽しい」、「毎日使わせてほしい」と喜んでいただけました。本人だけでなく、周りの方も喜んでくださいます。
「足こぎ車いすに乗ると、こんなに笑うんです」とか、「リハビリをやってくれるようになった」という声を聞いて、これは諦めてはいけない、この事業を継続させなければいけないと思って、今も頑張っているところです。

あるとき大学生の女の子から電話がありました。「私は足が不自由なんだけど、今度留学をするので、足こぎ車いすを持って行きたい。私が留学する先には同じ障がいをもった人がたくさんいるので、日本にはこんなすごい製品があるんだということを知ってもらいたい」と。それで足こぎ車いすを提供し、現地の動画を見せてもらいました。最初はみんな自分の足が動くなんて信じていなかったのですが、足こぎ車いすに乗り換えるとスイスイ動き出します。ペダルを一歩踏み込んだ瞬間に笑顔になるんです。諦めていた子が、できるかもしれないと気持ちを切り替える、そして周りの人も、この子にこんな可能性があったのかと幸せな気持ちになる。そんな製品が世の中にあってもいいんじゃないかと、あらためて思いました。

私たちの研究の根本となる技術は、神経を刺激して、様々な障がいを克服するニューロモデュレーションと呼ばれるものです。一般的には車いすに乗っていると、足を使わないので衰えていきます。それをリハビリでカバーするのですが、なかなかうまくいかない。そこで、ニューロモデュレーションを使って神経を刺激し、立つこと、歩くことを目指します。ただ、下肢などが動かない人が立ったまま神経刺激で筋肉を収縮させるのには非常にパワーが必要で、体に負担がかかります。座って足を動かすという研究に切り替わっていく中で、足こぎ車いすが生まれました。

会社を作ったときは、もし立ったり歩いたりできなかったら、クレームが来るぞとよく言われましたが、これまで一件もクレームはありません。それより、今日この瞬間に、自分の足が自らの力で動いたということで、障がいをもつ方や高齢の方にとってはすごく励みになっており、前向きな気持ちで障がいと向き合い、残された可能性を発見していくことにつながっています。

東北大学では医師と工学部が連携して研究を進めていますが、最近よく言うのは、これからの医工学に求められるのは、自発的に何かをしたいと思うことを手助けできる製品、方法を考えることだと。障がいを治すことができたら理想かもしれませんが、そこを目指すと、私たちの方が先に諦めてしまうことになりかねません。これだけお金と時間と人を費やしたのに、結局ここまでだと。でも、足こぎ車いすに乗ったままでもいいんです。障がいのある方が社会に参加して、健常者と一緒にいろんなことを楽しむ。それができれば、やがて立って歩くことにつながるかもしれないのです。

足こぎ車いすに立ちはだかる、医療・福祉業界の厚い壁

足こぎ車いすを製品化した際、まずは東北大学病院に持っていきました。東北大学で研究した成果を製品化して持っていったにも関わらず、医師からは「エビデンスがない。学術的に納得ができない」と言われました。医師は患者さんに足は動かないと説明しているのですから、その患者さんの足が動くとなると、プライドが傷つくんです。どうにか東北大学で認めてもらって、福島や山形などに持っていくと、今度は「東北大学に都合がよいデータだけでは認めない」と言われます。そんなことの繰り返しでした。

医療・福祉従事者はなぜそんなに足こぎ車いすに否定的なのか、その気持ちが知りたくて私もリハビリ養成校に通ってみることにしました。通うとよく分かったんですが、これまで一生懸命訓練をしてもあまり成果が出なかったところに、とんでもないものが現れて、スイスイと動かれてしまうのは許せないんですね。これまで患者さんに辛いリハビリをさせてきた自分の立場はどうなるのかと。自分の得意分野であればあるほど、未知のものを認めたくない。これは日本特有だと思います。

JICA(国際協力機構)の事業で、足こぎ車いす療法を広めるためにベトナムとタイに行きましたが、患者さんが足こぎ車いすを乗りこなすのを見て一番喜ぶのは医師です。アメリカもヨーロッパもそうです。患者さんとご家族が喜ぶことを一番大事にしてくれます。人生を精一杯生きるのをサポートするのが医療や福祉だという考えが浸透しているんです。

日本では医療・福祉の現場でも利益が優先されることがあります。健常者が杖歩行になり、車いすでの自走、介助、寝たきりと移動能力が低下するにつれて、病院にとってはお得意さまになる。「それを元気にさせてどうするんだ」と、医療・福祉業界の方に言われたときは非常にショックでした。

でももうそんなことは言っていられないのです。世界的に高齢化は進んでいますし、事故などによる障がい者の数も増えています。障がい者や高齢者のことは関係ないと思うかもしれませんが、その負担は若い世代にのしかかっています。みんなで解決していかないといけない問題なのです。

そこで、足こぎ車いすの出番です。いくつか事例を紹介します。まずは、生まれてから一度も自分の力で手足を動かしたことがないというミトコンドリア病・リー脳症の男の子。この子には自転車に乗りたいという夢がありました。この子が足こぎ車いすに座った瞬間、ちゃんとハンドル操作もできるし、足も動きました。

もう一人は、生まれつき足首が固まってしまう病気をもつ女の子です。 小学校に上がるときに足こぎ車いすに出合って、これならみんなと一緒に登校できると喜んでいました。足こぎ車いすで通学するのは危ないので、学校から許可が出ないだろう思っていましたが、この女の子は今、足こぎ車いすで友達と一緒に通学し、運動会ではリレーにも参加したそうです。 これまでの規則に囚われていたら、この子は友達と一緒に通学することも、リレーに参加することも一生なかったかもしれません。世の中が変わってきているなと感じました。共創社会と言われる今、足こぎ車いすに関わるみなさんに優しい気持ちをもってもらったら、無限の可能性が広がります。

「ベガルタ仙台」との連携で深まる地域の理解

仙台のJ1サッカーチーム「ベガルタ仙台」がホームで試合に勝つと、足こぎ車いすがチームを通して地域の病院や福祉施設、学校などに寄贈されるプロジェクトが3年前から始まりました。チームにとっては地域貢献になり、選手は活動を励みにしてくれます。元教員である私は、足こぎ車いすを学校に届けたいという夢が叶う、みんなにとってよい取り組みです。

私が会社を起こした当時は、足こぎ車いすを教育委員会に持っていっても、まったく対応してもらえませんでした。「ベガルタ仙台」と組んだことで、風向きがガラッと変わったのです。これからも新しい視点をもつことで、足こぎ車いすの可能性はどんどん広がっていくんだと思います。